Ⅰ総則
1.病院に働く者
病院は医師や看護師その他の医療の担い手が、互に協力し合いながら、病める人々を中心にした病院医療というサービスを提供している。病院に働く者とは、これらの職種のどれかに属しているすべての個人のことである。
2.倫理
人はみな家族、地域社会、企業などの社会集団の中で生活し、働いている。これらの社会集団にはそれぞれの道徳的規範がある。これらの道徳的規範はかならずしも共通するものではない。したがって家族とのつながりと病院内での業務とが時に両立しないことも起こる。各人はこうしたいくつかの集団に同時に属しているから、それぞれの集団がもっている道徳的規範のなかで、自分がどのように生きるかを考えて、自分の道徳的規範を作り上げなければならない。このような個人が自分の生き方を見出し、その規範に従う心のあり方が倫理である。
すなわち病院の職員として、病院という組織がもつ道徳的規範のなかで、各人が業務を遂行する際の行動基準である。
3.目的と手段
病院医療の特徴は、我々がチームを作って、すべての病める人々に生命尊厳の念と人間愛をもって接し、おのおのが知識と技術を適切に用いて、病める人々を癒し、苦痛を和らげるように努めるということである。
この際、我々は病める人々を癒すことを目的とし、自分の経済的利益や学問的興味やほかの人々の利益のための手段として利用しないという行動基準、つまり病める人々の利益を目的として自分たちの利益の手段としないということは、誰もが共通できる。また病める人々に我々が知ることができた病気についての真実を情報として提供することも、我々の共通した行動基準である。これらの基準に従ったときに、我々と病める人々とが対等な信頼関係を保つことができる。
4.十分な説明に基づく同意
病める人々は、必要なすべての医療サービスについて、十分に説明を受けて理解したうえでそれを容認し、どのような医療サービスとそれに関わる情報を受けるかについて、選んで決定する権利がある。これは自身の生命に関わる問題だからである。我々はこの決定権を尊重し、病める人々の望む医療サービスを提供しなければならない。
いろいろな職種の人々が病院で働いているが、これらすべての人々の業務の目的は共通している。したがって、その目的を達成するための各人の行動基準もまた同じはずである。これを我々の倫理規範として認め、病院倫理綱領としてここに提示する。
Ⅱ 病院倫理綱領の一般原則
病院は、優れた管理者の指導のもとで熟練した医療の担い手たちがチームを組織し、病める人々に適正な医療を提供し、苦痛を和らげ、さらに病気の予防と健康の増進に努めることが一般的責務である。
そのために、職員はつねに最善の能力を発揮し、暖かい人間愛をもって治療にあたり、全人的医療の観点から人類の福祉に貢献することがその使命である。
1.医療の質の向上
病院は、その基本的使命を達成するために、絶えず提供する医療の質の向上に努めなければならない。そのためには、すべての職種の教育・訓練を推進し、職員も専門的職業人として研修に励み、技術の熟達向上に努めるとともに、第三者による評価も積極的に受け入れる心構えが必要である。さらに臨床的研究にも励むべきである。
2.医療記録管理と守秘義務
1)医療記録管理について
医療記録の重要性を十分認識し、これを確実に作成し、合理的に保管管理する体制を確立し、必要に応じて速やかに適切な活用ができるようにすることは、病院および職員の責務である。
2)守秘義務について
業務上知りえた病める人の秘密は、正当な理由なくこれを他に漏らしてはいけないことは、「ヒポクラテスの誓い」以来古今東西を通じて変わらない医療人の戒めである。このことは、直接病める人に接する者の法的義務であるばかりでなく、病院職員全員に徹底し心がける必要がある。
3.権利擁護とプライバシーの保護
病める人の権利とプライバシーを守り、自己決定権を尊重した医療を提供しなければならない。自分の病気について知る権利を十分保障し、また診療における自己決定権を守るためには、理解できる言葉での説明と同意が重要な前提となる。
4.安全の管理
病院は、安全が医療の第一歩と認識し、施設的、微生物的、人為的などあらゆる危険性の予防に真剣に取り組まなければならない。
かりに事故発生時には、事実を隠すことなく、全病院的あるいは医療界全体の問題としての予防手段の開発に結びつけ、安心してかかれる病院医療の確立を図らなければならない。
5.地域社会との協力
病院は、地域住民の医療を担当するだけでなく、それぞれの機能に応じて、病気の予防をはじめ保健指導に寄与するなど、人々の健康増進のために積極的にその役割を果たすよう努めなければならない。
地域の保健・医療水準を高めるために、地域の医師に対しても病院の諸施設・設備が利用できるよう協力を惜しんではならない。
地域の病院、診療所、関係の官公庁、社会福祉関係施設および関係する諸団体などとつねに緊密な連携を保ち、協力し合ってその使命を達成するために積極的に活動するようにしなければならない。
Ⅲ 理事長の倫理
1.一般原則
理事長は、病院の使命と目的を達成するために、医師、看護師をはじめすべての医療の担い手の協力のもとに、病院倫理綱領を遵守して、良質かつ効果的な医療を提供するために、適正な管理運営を行うべきである。
2.病院開設の目的
1)地域医療への貢献
病院は、より健康な人間社会が営まれるよう設置された地域医療サービス機関であり、極めて公共性の高いものであることを十分に自覚しなければならない。
2)理事長は病院運営の最高責任者であり、病院の適正な診療活動と健全な病院経営に全責任をもたなければならない。
(1)理事長は地域社会に対する最善の医療サービス水準を維持するため、つねにその地域にとって最適の医療サービスが提供されるよう努力しなければならない。
(2)病院は利潤を追求する経営体ではないが、健全な病院経営を図るための適正な利潤の確保は必要であり、そのための最善の経営努力を払わなければならない。
3)施設・設備の近代化
病院は、医療内容が高度水準を保ち、科学的でかつ適正な医療を提供するための施設と設備を整えることが必要である。医学はますます専門分化しており、その診療にあたっては、絶えず設備や機器の近代化を図り、医療サービスの向上に努めなければならない。
3.病院長との関係
1)理事長と病院長
医療法では、病院の管理責任者は医師あるいは歯科医師であることと規定されている。
したがって、理事長が医師以外の場合、管理責任者としてふさわしい病院長を任命しなければならない。
2)病院長の選任
病院長は、優れたリーダーシップによって職員から信頼され、地域社会から尊敬を受ける人格者であり、また病院経営に理解と関心をもち、「医療」「経営」のバランス感覚に優れた能力をもった者でなければならない。
3)病院長への権限委譲
(1)理事長は病院長にとって最良の協力者であることが望ましい。
(2)理事長は病院長の専門的な要請を尊重しなければならない。
(3)理事長の病院経営方針に沿うかぎり、病院の運営・管理についてはできるだけその権限を病院長に委譲し、医師をはじめすべての医療の担い手の人事および監督を委ねるべきである。
4.職員の選定
1)事務長の選任
病院長は医療の専門家であり、事務長は管理運営全般を補佐する。この両輪がうまくかみ合ってはじめて病院組織は機能する。したがって重要な責任を担う事務長の選定はとくに大切である。
(1)事務長の資格要件
事務長は医療事業に献身する気概をもち、経営管理手法の専門的知識と幅広い教養をもった人格者を選ぶべきである。
(2)事務長は病院長の最高補佐役として適任でなければならない。
(3)事務長は開設者ともよく協調して、円滑な病院運営が図れるよう強力なリーダーシップと柔軟な調整能力と思考力が求められる。
2)各部局職員の選定
各部局職員は、病院長の合意のもとに選定しなければならない。病院長は病院開設の目的を達成するために、有能な人材を適材適所とする適正にして公平な配慮を払わなければならない。
(1)幹部医師
幹部医師は、病める人々が期待し満足する医療を行うことに十分な理解と関心があり、優れた医療技術をもった医師であるべきである。病院長は幹部医師をはじめとする医師団の医療についての建設的意見は、財政の許すかぎり積極的に受け入れるべきである。
(2)適正な処遇と評価
競争原理を積極的に導入して、その環境のなかで、全医療従事者の最適かつ高度な医療サービス向上への努力および成果について、適正な評価を行い、職員の達成感と満足度が図られるようつねにその処遇改善に努めなければならない。
(3)透明性のある人事
人事は客観性、公平性、透明性が原則である。
3)地域社会との連携
開設者は積極的に地域組織と連携して、地域の医療・福祉の水準が向上するよう努めるべきである。
5.健全経営について
病院はその開設目的に沿った設備、機器の整備および業務遂行に欠かせない資金が必要である。さらに、病院は非営利事業であるが、医の倫理に沿った経営を行いつつつねに経営の健全化・安定化を図るよう、開設者は、病院財政について全責任をもたなければならない。
Ⅳ 病院長の倫理
1.一般原則
病院長は病院経営の責任者であり、病院に働くすべての者に病院倫理綱領を実践するよう指導しなければならない。
2.理事長との関係
病院長は、理事長より病院の管理・運営を委任された者であり、開設の目的を達成するため、管理者としての責任をもって病院を運営しなければならない。また病院長は、病院の代表者として全職員の支持のもとに、社会の信頼を得て、医療機関の指導者の1人として活動し、これらを通じて理事長の期待に答えなければならない。
3.病める人々との関係
1)医療と看護の質の向上
病院長は、診療と看護の質の向上を目指すために、組織的に取り組むよう指導しなければならない。
2)病める人々の権利と安全および守秘義務
病院長は、すべての病める人々に患者としての権利を保証し、安全な医療とプライバシー保護を保障するための仕組みを病院内に作り、その法的、道義的責任を守るよう努めなければならない。
3)信仰の自由の尊重
病める人々とその家族の信仰の自由を尊重するよう、全職員を指導しなければならない。
4.職員との関係
病院倫理綱領の原則にのっとり、職員を指導し、その協力が得られるように努めなければならない。
1)職員の資質の向上
職員の業務水準を維持し、向上させるために、教育、訓練に配慮しなければならない。
また職員がそれぞれの学会・研究会などに積極的に参加し、活動するよう奨励すべきである。
2)研修・研究活動
職員の研修および研究活動が積極的に行われるよう配慮すべきである。
3)療養環境の確保
病める人々に快適な療養環境を確保し、院内感染の防止など環境衛生や災害対策の整備・強化に最大の注意を払わなければならない。
4)医療の効率性
つねに職員の能率向上に配慮し、限られた医療財源、資源を有効適切に使用して、よりよい医療の提供と、職員の待遇の改善に努めなければならない。
5.対外活動
病院長は、地域の医療機関および介護施設と密接な連携を保ち、協力して医療水準の向上を図り、地域社会の要請に答えるように努力しなければならない。
1)医療団体や官公庁などとの協力
地域の医療団体と協力し、積極的活動を行うことが必要である。また、行政および地域組織への参加は、病院の使命達成のために重要である。
2)地域社会との関係
病院長は、つねに地域社会の要望と病院への批判に注意し、それに対応した処置をとらなければならない。
Ⅴ 勤務医師の倫理
1.一般原則
1)医の倫理の実践と指導
病院に勤務する医師は、医学を修得・研鑽し、専門職業的倫理を基準にして行動していくことが大切である。また、医療を行うためにはチームワークがもっとも重要であることを認識し、専門集団として高度の倫理的行為を維持させていかなければならない。とくに、医師は医療チームの指導的責任者であることを自覚し、チームのメンバーの融和を図り、技術向上のための教育などにも努めなければならない。
2)医療の倫理原理
ここにいう医療倫理の本質は法則ではなく、医師が病める人々や、他の医師、他の関係専門職、公共の人たちとの間に、正しい人間関係を築く基準である。
また、病院に勤務する医師は、病院への帰属意識をもち、勤務する病院の規則を遵守しなければならない。
2.医療専門職の目標
医師は生命の尊厳性を認識し、これを基本にして人類に奉仕することが責務である。病院に勤務する医師は、病める人々から信頼されるに値するよう最善の努力をしなければならない。
3.研修・研究
病院に勤務する医師は、絶えず新しい医学的知識を修得し技術を錬磨し、専門職としての最高の技能を、科学的根拠のもとに病める人々に提供しなければならない。また、同僚の医師をはじめとする医療従事者にも知識・技術を伝えることが重要で、専門分野の学会・研究会などに積極的に参加し、つねに知識・技能の向上を図らなければならない。
しかしこの際、研修あるいは研究のために、万が一にも病める人々の権利や福祉が優先されず、損なう恐れのある行為は許されない。
4.非科学的治療の排除
病院に勤務する医師は、倫理感が乏しいあるいは技術が未熟な医師や医療従事者たちが、医療の質を低下させないよう心がけなければならない。また、医師は法律を遵守し、医業の名誉と尊厳を傷つけないよう、自ら律しなければならない。
5.医師の良心
医師は良心に恥じるような行為をしてはならない。医師は自らの良心に反する要求に屈してはならない。
6.説明と同意
病院に勤務する医師は、医療行為を行うとき、病める人々あるいは保護者に事前の説明をし、同意を得ることがもっとも重要である。また、医療行為を中止するときも、同じく十分説明し同意を得なければならない。
7.診療記録の記載と開示
病院に勤務する医師は、その都度、診療行為の記録を正しく記載しなければならない。
病める人々の訴え、傷病の部位、診療の経緯、程度を、客観的、詳細に記録するように努め、かつ第三者が判読できるように記載しなければならない。診療記録の記載はできるだけ速やかに行い、記載者の名前を明記しなければならない。また検査記録、診断に要した画像を破損、紛失しないようにしなければならない。診療記録の開示を求められたときは、病院で定められた規則に従って開示しなければならない。
8.医師の守秘義務
病院に勤務する医師は、知り得た個人の情報を漏らしてはならない。
9.専門医への紹介の必要性
病院に勤務する医師は、その医療の専門性や設備に自らの能力の限界があると認めたときは、速やかに他の適切な専門医に紹介し、委託することが望ましい。
10.院外医師との連携の強化
病院に勤務する医師は、地域の医師と互に密接な連携を保つよう留意しなければならない。また、他の病院の勤務医とも密接な関係を保ち、知識や技術の交流を行い、これらを病院の基本的使命の遂行に役立てなければならない。
11.地域社会での保健活動
病院に勤務する医師は、単に個々の病める人々の診療のみでなく、社会一般の保健向上に積極的に参加する責任がある。
Ⅵ その他職員の倫理
1.一般原則
病院の職員は、病める人々の回復や健康と福祉の増進を目的として業務に励み、自分たちの利益のための手段としてはならない。
2.医療の質の向上
我々は医学その他学の問の根拠にもとづいて、適切な医療サービスを提供しなければならない。そのために我々は、それぞれの知識と技術ならびに人格の向上を図る必要がある。
3.医療記録の管理と守秘義務
医療記録は、病院が管理・保存するよう法的に定められているが、記録されている情報のすべては病める人々のものである。
医療記録は正確で詳しく記載され、十分な管理体制のもとに整理・保管され、そしてその内容について他に漏らさないことが我々の責務である。
4.権利擁護とプライバシーの保護
医療上最適のケアを受ける権利、人格が尊重される権利、医療上の情報について説明を受ける権利など、病める人々の権利を守ることおよびプライバシーを保護することは、医師や看護師ばかりではなく、全職種が心がけるべきことである。
5.安全の管理
病院の職員は、災害、建物、機器の安全および人為的事故、犯罪などの危機防止に留意し、これに対処できるよう、つねに訓練を怠ってはならない。
6.地域社会との連携
地域に住む人々に、適切な体制によって医療サービスを提供できるように、その地域にある医療機関が連携し合うべきである。これは病院間、病院・診療所間で医療サービスを分担し協力し合うことである。また医療と福祉とを結んで一貫したサービスが提供できるように、介護の諸施設とも連携することが必要である。
我々はこのような地域医療体制の維持と発展のために力を尽くさなければならない。
Ⅶ 結び
1.病院に働く者の倫理と国民の倫理
病院運営の基本理念を確立するには、倫理と管理の原則が必要である。そのためには、まずは経営者、管理者を中心としてすべての医療従事者の行為の規範を設定することから始めなければならない。しかしこの際、医療を受ける国民にもそれぞれ倫理的規範があるので、お互いに相手の倫理的規範を尊重し合うことが大切である。もし、相手の規範を無視するようなことがあれば、特殊な職域倫理も医の倫理も成り立ちにくい。
医は、学と術と道の3つから成り立っている。しかし現代医療は、国民皆保険のもとで医療も契約であるという概念と、社会福祉の理念のもとで医療は権利であるという概念とで成り立っており、このため病院の倫理観と医療を受ける人々との倫理観の調和が必要であることを我々は銘記すべきである。今日、医療の職種は極めて多様化しているが、医師、看護師以外の職員も、医は聖職であることを認識し、病院に働く者すべての倫理の高揚を図ることが大切である。
2.医療の道義的混迷と経済的混乱
病院倫理綱領の基本原理は、序言ならびに一般原則で述べたように、病める人々の治療に最善を尽くすことが一義的責務で、経済的報酬その他の利益は二義的に考慮されるべきものである。さらに科学的知識を向上し、すべての職員教育を促し、国民の健康増進に積極的な役割を果たすことが病院の責務である。
しかし、戦後のわが国の社会では、経済成長のみが一義的であり、倫理的規範は未完成のままである。たとえば、国民が飢餓の状態からもっとも裕福な国へと急激に高度成長して物質中心主義の世相を招いた反面、倫理的規範のいちじるしい荒廃をきたした。医療の分野においても、この風潮が及んでいると感じられる。
近年医療費抑制政策がますます激しくなり、拡大再生産を含む病院運営の向上を図ることが難しくなりつつあるが、利益を追求するあまり、道義的な規範を逸脱しないように強く望むものである。倫理性をなくして財政的収支の安定のみを図ることは、決して国民医療の向上にはつながらないことを銘記すべきである。
3.病人を診る
思想的、社会的、政治的、財政的に混乱した社会的背景のなかで、病院に働く者はこれにどのように対処すべきか、つねに新しい秩序を模索していかなければならない。それには、一人ひとりが高い倫理観をもち、それを基本にして近代的職域倫理を充実していく必要がある。
ろうそくが身を減らして人を照らすように、我々も身を粉にして社会を明るくするよう、社会人としての倫理の高揚に、さらに学問、技術の習得に励み、医療の質の向上に努めなければならない。病院に働く者がこのような姿勢を維持し、病める人々の明るい光となるとき、病める人々も安心して療養生活に専念することができる。
平成20年4月1日 制定
平成25年1月31日 改定
平成29年10月5日 改定
令和5年4月1日 改定